鎌倉市鎌倉駅周辺~鶴岡八幡宮ワンッ(犬が吠える風に1)~
どうも、ダイスケです(^^♪
アイキャッチ画像が季節外れで恐れ入ります(*_*)(笑)
昨日、段葛(だんかずら)をご紹介しましたが、今回は段葛の先にそびえる「鶴岡八幡宮」をご紹介したいと思います!!
やっぱり、鎌倉を代表する寺社仏閣と言えば鶴岡八幡宮ですよね!!
今回、調査しながら歴史等を知れるのが私も嬉しくてたまりません( ゚Д゚)
最寄のスーパーの牛乳が、近辺のスーパーで一番安いのと同じぐらい嬉しいです( ゚Д゚)
ではでは、早速鎌倉のシンボル、鶴岡八幡宮についてご紹介していきましょう~(^^♪
鶴岡八幡宮で祀っているのは??
現在の御祭神は3柱います。
・応神天皇
先帝が没したときにまだ、母后、つまりお母様のお腹の中にいたため、胎中天皇とも呼ばれます!
ちなみに、応神天皇が治められてる時期に大和朝廷の勢力は飛躍的に発展したとのことです( ゚Д゚)
・神功皇后
こちらの方は、応神天皇のお母様ですね!
仲哀天皇の御后で、神と交感する能力のある巫女のような女性だったとのことです。。
仲哀天皇が亡くなった後は、神の信託を受け自ら新羅(古代の朝鮮半島南東部)に攻め入ります。
その時、大小の魚が集まり船の進行を助けたという逸話もあります( ゚Д゚)
そしてその軍団の勢いを持ってして、新羅だけでなく百済(朝鮮半島西部)、高句麗(現在の中国東北部の内の南部から朝鮮半島北中部)をも帰服させました。。
この時すでに、応神天皇をご懐妊中です( ゚Д゚)
そして、帰国後に応神天皇をご出産なされたということです!
・比売神(ひめがみ)
こちらはですね、特定の方を指すわけではなく、祭神と関係の深い女性のことです!
例えば奥さんや娘さんですね!
鶴岡八幡宮の場合では、応神天皇の皇后が比売神にあたるのではないかと言われています( ..)φメモメモ
鶴岡八幡宮の始まりは??
始まりはなんと1063年にまで遡ります(笑)
もう、なんのこっちゃですね( ゚Д゚)(笑)
詳細は、
源頼義が出陣に際してご加護を祈願した京都の石清水八幡宮の神様を、勝利の後分けてもらい、由比ガ浜の辺りにお祀りしたのが始まりです!!
その後、1180年に源頼朝が鎌倉に入り、現在の地に八幡宮を遷したとのことです!
そして、幕府の中枢となるものとして八幡宮の整備を始めていたのですが、なんと、社殿が焼失してしまうのです( ゚Д゚)
その事態を機に、上下両宮の形に整え、鎌倉幕府宗社にふさわしい形となりました!
それは1191年のことです……
そしてついに来ました。。待っておりました( ゚Д゚)その翌年……
1192つくろう鎌倉幕府です!!!
1192年、源頼朝が征夷大将軍となり、ついに鎌倉幕府が誕生しました!!!
イェイ!おめでとー( *´艸`)!!!
いや~、できることなら握手を求めたいですけど斬られそうですね(笑)
そうして、晴れて鶴岡八幡宮も幕府のシンボル的存在になりおおせたわけですね!
頼朝公が鎌倉幕府を開いた後は武家の崇敬を集め、鎌倉時代を象徴する質実剛健の気風の背景の一つとして「武士道」の精神を世に広めていったわけですねー(^^♪
紆余曲折ありましたが、そうして建立した鶴岡八幡宮は現代でも古都鎌倉の象徴として親しまれているわけですね!(^^)!
まとめ
鶴岡八幡宮の成り立ち等はいかがでしたか~??
個人的には祭神の神功皇后がご懐妊中でありながら朝鮮の国々を圧倒したという点に悶絶しました(笑)
そんな方々を御祭神として祀ってるわけですから、信仰が集まるのも当然のような気がします(笑)
また、鶴岡八幡宮自体も最初から大きな神社だったわけではなく徐々に鎌倉幕府の象徴としておおきくなっていった過程には私も感動を覚えました(^^♪
是非、今後行かれる際は、こういった背景も知ったうえで参拝なさってくださいね(^^♪
ではでは。
ダイスケ