横浜市石川町駅周辺~山手カトリック教会編~
どうも、ダイスケです(^^♪
昨日の記事では横浜赤レンガ倉庫で開かれる「ヨコハマフリューリングフェスト2018」
をご紹介しましたが、またまた山手に戻って横浜にある西洋建築に触れていきたいと思います!(^^)!
というわけでですね、今回ご紹介するのは「山手カトリック教会」です!!
アイキャッチ画像がその山手カトリック教会なのですが、夜にライトアップされると綺麗ですねー!!
ステンド硝子がアクセントになってジャパンでの異質感が輝きつつ顕著になっています( ゚Д゚)
それでは、早速ご紹介していきましょう!(^^)!
聖堂
パワースポットとして神社は取り上げられるが
— ひでき@超繁忙期終盤❗🐼💦 (@hide_glory) 2014年11月6日
教会はなぜか取り上げられない
日本の歴史的風土や
現世的ご利益等の関連性が
感じられないからだろうか
神様は私達に何を望んでいるだろうか#ファインダー越しの私の世界
*山手カトリック教会 pic.twitter.com/qY4HKpb8lc
まずは聖堂内について簡単にご説明します!
こちらは中央祭壇です!
もちろん手を広げておられるのがイエスキリストになります!
胸の部分は愛に燃えたキリストの心が表現されているようです!(^^)!
こちらは左脇祭壇です!
中央にいらっしゃるのが聖母マリアとのことです。
こちらは右脇祭壇ですね!
中心におられるのが聖ヨゼフとのことです!!
いやー、神々しいですね。。
あんまりふざけたことは書けそうにありません(笑)
聖堂内には、ステンドグラスやパイプオルガン、横浜教区の母教会であることから司教座などが備わっています( ゚Д゚)
山手カトリック教会の歴史
フランシスコザビエルら宣教師が日本に初めてキリスト教を広めたのは1549年のことです!
宣教師は日本人と衝突しながらも布教を続け、時の権力者である織田信長の庇護を受けることに成功しました!
しかし、豊臣秀吉の代になり、キリスト教の激しい弾圧が始まりました(*_*)
その後、関ヶ原の戦いにて勝利した徳川家康の代になると、国は鎖国され、キリスト教は禁教となり、日本の信者たちは密かにその信仰を受け継いでいくことしかできなくなりました。。
そうして、江戸時代が終わり明治維新が起こると完全ではなかったものの信教の自由が認められるようになりました!(^^)!
そうして不遇の時代があったものの、幕末1859年開港時に再宣教のためにパリ外国宣教会のジラール神父らが来日しました!
そうして、国宝である長崎大浦天主堂が献堂される3年前に、1862年に現在の横浜市中区山手山下町80に「横浜天主堂」が献堂されました!
これが現在の山手カトリック教会の初代聖堂であり、近代日本最初の教会ということです!!
1906年には横浜天主堂周辺の市街化に伴い、現在の教会番地に移転されます!
しかし、やっぱり立ちはだかるのは関東大震災で1923年に2代目横浜天主堂は崩壊、当時の主任司祭ルバルベ神父も犠牲となりました。
その後10年にわたる建設募金活動を経て、1933年にゴチック式鉄筋コンクリート造の現在の聖堂が献堂されました。
いや~、色々ありましたね。。
なんだかんだ問題となるのは関東大震災ですよね(*_*)
現代の私たちにとっても全く他人事ではありません。。
※ちなみにフランシスコ・ザビエルはトンスラという髪型をしていたのであり、頭の天辺の毛髪がああなってこうなっていたわけではありません ( ゚Д゚)
まとめ
今回は山手カトリック教会についてご紹介しましたがいかがだったでしょうかー!?
いくつか画像も交えてご紹介しましたが、教会の厳かかつ包容力のある雰囲気が伝わったでしょうか(;O;)!?
ただ、こういった空気感さえ魅力になる建築物は実際に行ってみるのが一番ですよね!(^^)!
是非皆さんも見学に足を運ばれてみてはいかがでしょうか(^^♪
ではでは。
ダイスケ