横浜市石川町駅周辺~横浜外国人墓地編~
どうも、ダイスケです(^^♪
今回ご紹介するのは「横浜外国人墓地」です!!
今まで駅から徒歩圏内の観光スポットをご紹介してきましたが、なんだか墓地をご紹介するのは自分の中でも異質な感があります( ゚Д゚)(笑)
凄い話ですよね、墓地が観光スポットって(>_<)
しかし、ただの墓地が観光地化することはなかなかないと思いますので、その真髄にしかと迫っていければ思っております!!
目次
では早速紹介してまいりましょう~(^^♪
横浜外国人墓地
横浜の外国人墓地にて。#横浜 #外国人墓地 #カメラ男子 #写真が好きな人と繋がりたい #写真部 #写真好き #東京カメラ部 #東京写真部 #写真シェアGO #ファインダー越の私の世界 pic.twitter.com/JmpfBvkxHM
— みずけん@写真を撮りに出かけたい (@mizuken0925) 2017年12月5日
こちらの観光スポットでもああります横浜外国人墓地は山手にありまして、公益財団法人横浜外国人墓地のもと運営をされております!
横浜外国人墓地は、ペリー来航により鎖国の解かれた1800年代に設けられ、日本の発展に貢献した著名な方も含め多くの外国人が眠り、冥福を祈られる安らぎの場として広く親しまれてきました!
横浜外国人墓地の始まり
ペリーカン pic.twitter.com/jlW3F5z7UD
— よしだ (@five1996) 2018年4月22日
今からは横浜外国人墓地がいかにして始まり、成り立っていったのかご説明しますね!!
始まりは、ペリー提督が三浦半島の久里浜に来航して開国を迫ったのは1853年のことです!
その翌年の1854年にペリーは再度来日しました。
その際、艦隊の中の一隻の乗組員ロバート・ウィリアムズが24歳の若さで船から転落死してしまいました。
そうして、ペリーが日本側にロバート・ウィリアムズさんの埋葬地とアメリカ人用の墓地を要求したのです!
協議の後、幕府は横浜村の増徳院(現在は焼失してしまった)の境内を提供することとなりました!
それはペリー側の要求でもあった「海の見える土地」という要件にも合ったためロバート・ウィリアムズはこちらの土地に埋葬されたのです!
これが、横浜山手の外国人墓地の始まりとなります!!
そうして開国が進むと日本で亡くなる外国人も増え、現在の墓域まで広がったとのことです。。
横浜外国人墓地の眠る人
・アンリ・カミュ
井土ヶ谷事件の被害者です。
横浜居留地の警備のために駐屯してきた、フランス陸軍の少尉アンリ・カミュは乗馬を楽しんでいた時、井土ヶ谷に差し掛かった辺りで浪士2人に襲撃されました。
・エリザ・ルアマー・シドモア
この方はワシントンD.C.に日本の桜を植える計画を着想した人物として有名です!
この着想が始まりとして、ワシントンD.C.に桜が寄贈されました!
そうしてアメリカと日本の友情を祝うために全米桜まつりが行われるようになりました!
・S・エルドリッジ
こちらの方はお医者さんですね!
1868年に医学博士の学位を取った後、開拓使顧問として函館に来日し、函館医療教授に就任しました!
のちに横浜の十全病院の外科医となりました(^^♪
また、火葬の提唱者でもあったようです!!
・チャールズ・リチャードソン
生麦事件の被害者です。。
生麦事件とは江戸からの帰路についていた薩摩藩の一行を、馬に降りることなく横切ったイギリス人が、薩摩藩の藩士によって殺傷された事件です。
薩英戦争が始まったきっかけとなった事件です(>_<)
まとめ
横浜外国人墓地はいかがでしたか??
私は少ししんみりしてます(>_<)
今の日本の平和は様々な外国人の方の被害や支え、尽力があってこそなのだなと実感したからです(*_*)
いやー、考えるべきことの多い昨今だと再認識しました。。
なお、横浜外国人墓地は2~7月・9月~12月の土日祝祭日にのみ募金(200~300円程度)のお礼として入苑できるとのことです(>_<)
歴史を感じつつ、様々な形状の墓石に思いを馳せるのも素敵な時間の過ごし方かもしれませんね(^^♪
ではでは。
ダイスケ