横浜市石川町駅周辺~山手234番館 住みたくなっちゃうタイプ編~
どうも、ダイスケです(^^♪
今回は横浜市山手地区の洋館「山手234番館」を中心にご紹介しま~す!(^^)!
いや~、横浜市山手地区の洋館紹介も佳境に入ってきました(*ノωノ)
この記事が誰かのためになれば私はニヤニヤします(笑)
その準備は万端です(*´з`)(笑)
さて、アイキャッチ画像の洋館を見る限りでは植樹する位置間違えたのではないかと存じます(笑)
ただ、数本の木々の奥には多様な色合いの西洋館がそびえていますね!!
それでは本題の山手234番館について迫っていきましょ~!(^^)!
山手234番館
山手234番館
— minachi (@minachi0729) 2018年4月29日
木が育ち過ぎて全体が良く見えません… pic.twitter.com/TuwGLTLNcU
こちらは1927年に現在の敷地に建てられた外国人向けの共同住宅(アパートメントハウス)です!!
なんとなんと、山手234番館は朝香吉蔵という日本人が設計したのです!!
というのも、山手234番館は関東大震災により日本を離れた外国人を呼び戻したいという願いから手かげられた、復興事業の一環として建設されたのです( ..)φメモメモ
山手234番館「長谷川家の端午の節句」
— lssah (@ss1lssah) 2018年5月2日
5/ 6(日)まで。
装飾:プラナス・アルメニカ pic.twitter.com/lCzbxhLnZT
建設当時は、山手234番館の中心部分に玄関ポーチがあり、それを挟み合う形で対照的に同一の形式の住戸が向かい合い、上下に重なり合う構造となっていました!!
間取りは3LDKとご家族だと手ごろな広さですね( ..)φメモメモ
私は将来4LDKに住んでみたいです( ..)φメモメモ
つくりとしては上げ下げ窓や鎧戸、煙突もシンプルな形で採用されており、関東大震災後の洋風住宅の典型的なデザインの外装をしています(^^♪
そういったシンプルさを重用している点は日本人が設計した事実の垣間見えるポイントですかね!(^^)!
また、第二次世界大戦後は米軍に奪われてしまいますが、解放され、昭和50年代まではアパートメントとして利用されていました!(^^)!
そうして、アパートメントとしての役目を果たした山手234番館は横浜市が歴史的景観の保全を目的に取得し、1999年から一般公開されるようになりました!!
現在1階は展示スペースとして、山手234番館や当時を再現された居間の歴史についてパネルを使い紹介されています!(^^)!
また2階は貸しスペースとしてギャラリーの展示や会議などに利用されています!!
えの木てい
《今日のヨコハマ散歩》
— 横浜人/横浜棺 (@yokohama_pooh) 2018年4月30日
えのきてい『横浜山手えの木てい』さんで休憩。 pic.twitter.com/4kXNa3sdMD
山手234番館には隣接する山手89-6番館という館がありました!!
こちらも朝香吉蔵さんが建設しており、現在は洋菓子屋さんが営まれています!!
まとめ
いかがだったでしょうか~山手234番館は(^^)?
日本人が設計した洋館をご紹介したのは今回が初めてでしたが、
今までご紹介した洋館の中でも、間取りも丁度良く、派手過ぎず、実際に住んでみたい感情を持ってしまうアパートメントハウスでしたねー(*ノωノ)
また、建設された経緯が特殊で歴史的な価値も感じました!(^^)!
お隣のえの木ていさんの洋菓子も美味しそうですし、是非山手234番館に皆さんも足を運んでみてくださいね(^^♪
ではでは。
ダイスケ