横須賀市観音崎~観音崎灯台でナイスビュー編~
どうも、ダイスケです(^^♪
灯台なんて海の近くに住んでいないと馴染みが薄いですよねー(>_<)
私なんかは灯台を見た記憶がそれほどありません(笑)
なので知的好奇心を働かせつつ今回の記事を書いていけたらと思います!(^^)!
それでは、早速「観音崎灯台」に迫っていきましょう~!(^^)!
観音崎灯台
灯台の中入れるってきいたので、観音崎灯台いってきた。
— Fe 製鉄 (@fe_koubou2) 2018年5月5日
フレネルレンズきれいねー( ´ ▽ ` ) pic.twitter.com/dkAD8O7ITs
観音崎灯台は「白い貴婦人」と呼ばれ、「おいら岬の灯台守は」という曲でも有名とのことです!!
ちなみに景色はこんな感じということです!!
観音崎灯台 pic.twitter.com/9DgA0vTff5
— ryotaro (@soccer_nishi_11) 2018年5月4日
ファ――――――、とゴルフもしてないのに叫びたくなるナイスビューですね(笑)!!
終の棲家はこういうところがいいですよね、ええ(笑)。。
・歴史
現在の観音崎灯台が建築されるまでの過程をちらりしますね!(^^)!
まず、1886年に江戸幕府はアメリカ・イギリス・フランス・オランダと結んだ江戸条約で、船の往来の安全性を図るため灯台を建築することを約束しました!
そうして幕府は、別の記事でもご紹介しました横須賀製鉄所を設計するために来日していたフランソワ・レオンス・ヴェルニーさんに灯台の建築を依頼しました!!
ao4dai1kuro3.hatenadiary.com
そして、ヴェルニーさんは製鉄所建設課長だったルイ・フェリックス・フロランにその仕事を託しました!!
そうして横須賀製鉄所でつくったレンガと石灰を使い、四角形色塗装の建物と、フランス製レンズを備えた灯台が完成し、日本初の洋式灯台として光を発しました(^^♪
ただ、1923年4月26日に大きな地震があったため灯台に亀裂が入り、2代目の再建が行われたのですが、今度は関東大震災が同年9月1日に起こり、灯台は倒壊してしまったのです。。
そうして再度建築されたものが現在も残る3代目の観音崎灯台なんです( ゚Д゚)
また、海岸には2代目の観音崎灯台の残骸が残ってるとのことです(>_<)
個人的に以前も記事にしたフランソワが登場したときはテンションも上がったのですが、なかなか紆余曲折した苦労人灯台なんですね(;O;)
2代目を建築したその年に倒壊してしまうというのは悲劇としかいいようがないです。。
まとめ
観音崎灯台わず。晴れてるときれいに房総半島も見えた。 pic.twitter.com/Af9Vwpj9H1
— みずひろ (@miz_hiro12) 2018年5月5日
私は単純に自然一杯の横須賀に行って灯台に上りたくてたまらなくなりました(笑)!!
天気のいい日は最高でしょうね~(^^♪
また、船に乗って灯台の光に見守られたくなりました(笑)
ただ、歴史のある建築物をご紹介しているといずれも関東大震災に平生を切り捨てられてしまっているのがなんとももどかしいですね(>_<)
今回の記事を書いて、歴史に見る教訓を生かしながら未来をつくっていかねばならぬとも思えました!!
もし、観音崎灯台にご興味を持たれた方は是非足を運んでみてくださいね~(^^♪
ではでは。
ダイスケ